シェーマLと屑

JUGEMテーマ:家庭

 

心理学では主体としての私を単なる自我としてしかとらえていない。

ラカンは、見る・見られる・それを見ている自我の3項まで表記した。

そこにフロイトのS(主体)を取り入れて、シェーマL図を作った。

なぜかというと、全部Sに集約していくから。

もともとはSから出発する。

 

どういうことかというと・・・

欲動の塊だった子供が母に出会って見る・見られるが出てきた。

これはまだ想像界の始まり。

これを大文字のAという語らい、つまり父の語らいがあり象徴界へ移行する。

しかし、語らない父だと象徴界は存在しない。

語らない父だと、無傷と思われがちだがそうではない。

父を屑だと規定してしまう。

 

父は社会なので、社会も当然屑という事になってしまう。

クソみたいな仕事というのはそういう事。

家庭は小社会。

父は社旗を代表している。

モラル、倫理、知性など。

それが、日曜日にゴロゴロしてテレビを見てぐうたらしていると、どうしても屑としか思えない。